(Lien Vol.2 2014年Spring号 特集『トップインタビュー』/『コラム』掲載記事 : サイボウズ株式会社 発行)
聡明さと善良さを両立させることが破たん企業の再建につながった
近藤宣之氏
日本レーザー 代表取締役社長
株式会社日本レーザーは1968年に設立された、レーザー機器の専門商社だ。ニッチな業界ながらトップシェアを誇ってきたが、1993年には業績不振で債務超過に陥っていた。
そのとき代表取締役社長に就任した近藤宣之氏は見事再建に成功し、2007年には日本で初めてとなるMEBOで親会社からの独立を果たした。成功の秘訣はどこにあったのだろうか。
3度目の企業再建への挑戦
──社長に就任された経緯について教えてください。
私はこれまで3度の企業再建に取り組んできました。最初は28歳の時。
新卒で入社した日本電子の労働組合の委員長として、経営難にあえぐ会社を救うために、大規模なリストラに取り組んだのです。社員1千人の希望退職を受け入れるのと引き換えに、経営責任として経営陣退任と償いを求めました。
2度目は日本電子の米国法人のリストラ。そして3度目が今社長を務めている日本レーザーの再建です。
取締役米国法人支配人としてリストラを終えた私は、1993年1月から日本電子の最年少役員として国内営業を担当していました。その年の年末に当時のトップから、突然「1億円貸し付けるから、日本レーザーを再建してほしい」と出向を打診されたんです。
──当時は厳しい状況だったのでしょうか。
日本レーザーは赤字続きで、債務超過に陥っていました。当時は、日本電子自体も業績不振で赤字に転落し、グループ全体の再建策が求められていたのです。大幅な赤字を出していた子会社の日本レーザーには、特に厳しい対処が求められていました。上場企業である親会社が債務保証をするといっても、銀行が融資を停止するくらいの非常事態だったんです。だからこそやり甲斐もあると感じました。
──あえて火中の栗を拾ったわけですね。
当時、出向は事実上の片道切符でした。私自身については他の選択肢もありましたが、再建には、国際ビジネスの経験、英語での交渉力、泥臭い営業力、そして労使関係のノウハウが必要だと言われ、困難だからこそやってやろうという気持ちはありましたね。
...(以下略)
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